家紋逸話辞典 丹羽 基二著 立風書房1995.5.30 より
家紋逸話
葵紋の話
あるとき徳川家康は家臣の本多平八郎忠勝を呼んだ。
「平八。おまえの家で使っている葵紋だが、あれをやめてもらえぬか」
驚いた忠勝は、
「それは、また、なせでこざいますか ?」
「うん、当家で葵紋を使っているからには、他家での使用をさし止めなならんのだ。
徳川一門だけにするためだ。」
「それは筋がとうりませぬ。殿のご先祖は、そもそも、ここ松平郷では
ございますまい。もとは、上野の国新田群徳川郷、清和源氏新田族
、もともと新田の「一つ引両」にてしかるべきもの。
葵紋は如何かと..
ひるがえって当家は神代以来、京都の鴨神社に奉仕つかまつる
賀茂族、それ故、賀茂の神紋である葵をもちいるのは当然。
殿こそ、本宗新田氏の<一つ引き>に変えられては如何?」
と言い放ったので家康も二度と口にすることは無かったと言う。
したがって葵紋禁止の中で大手をふって本多一門だけは葵紋を
押しとうしたと云う。
本多家主流の末裔の話。
「うちの由緒書きには、家康公から話が
あったとき、"幹までは差し上げられません"
と答えたと、とあります。」とのことだ。
これによると
家康は本多家から葉だけ貰ったことになる。
立葵
水に立ち葵