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支倉常長のローマ市民権証書
太閤秀吉への公文書
豊臣秀吉に出した親書
妙宝院蔵
1581年Jesuitイエズス会日本巡察師の Valegnani ヴァリニャーニ
(イタリア人)は織田信長に拝謁をしました。
この時、信長はヨーロッパの紋章の存在を知っただろうか、
それを確かめる史料はないが、ヴァリニャーニは日本に紋章があることを知り、
西洋に伝えた最初の人物です。
ヨーロッパの制度としての紋章を目撃した日本人は
多分、1582年ヨーロッパに派遣された伊東満所ら" 天正の四少年"は
法王庁などの壁.天井.調度品など紋章いっぱいの
情景を目にしているはずであるが、帰国後それを報告した記録は無い。
日本とヨーロッパの紋章の交流
1591年ポルトガルのインド総督ドン.ト゛ワルテ.デ.メネーゼスは太閤秀吉に親書を出しました。内容は日本におけるキリシタン布教への保護を要請したもの。届けたのはヴァリニャーニでした。
これがヨーロッパの紋章と日本の紋章の最初の公式交流です。
紋章学的には貴重な史料です。
秀吉は日本人として公文書によって西洋の紋章を最初に知った
人物。逆に秀吉の紋章も、公的に西欧人によって認知された
最初の日本の紋章になりました。
1613年伊達政宗の命によりローマに行った支倉常長もヴァティカン
その他で西洋の紋章を確認した人物です。
1615.12.3日彼に与えられた
ローマ市民権証書
ヨーロッパで発行された公文書に記録された
最初のものと思われます。この市民権証書と秀吉への親書の
構図が年代.発行地が異なりながら良く似ていることは
注目すべきことです。
ローマ市民権証
紋章部分を拡大
仙台市博物館蔵