ヨーロッパの紋章学でいう "紋章 "はヨーロッパと日本しかなく
他の國や地域にも全く見あたらない。
日本と西洋の紋章は遠く離れた地域で個別に発案されそれぞれの
特色と方式を持ちながら発展してきたのです。
(ヨーロッパでは紋章学heraldryは科学の1分野としてその地位を確立し今日に至っています。)
両者紋様.色.彩色等に大きな違いがありますが、
深く追求してみると発想方法や使用方法が良く似たものが
数多く見られる点も注目すべきです。
【紋章は武具から始まった ヨーロッパ】
中世の貴族は騎士でした(後の貴族とは異なる)。
戦場においては、指揮官であり、戦士となり、敵にたいしては名誉と勇気をかけて戦い、
「何某の誰」を誇示しました。
味方に対しては、「我はここにあり」と所在と行動を知らせるために目印が必要となりました。
そして騎士がいつも携行する "楯
" が選ばれのです。
楯の紋章は戦場における個人の識別の武具として進化してゆきました。
同一紋章の使用を禁止や世襲制、そして紋章院での管理体制ができました。
【公家の牛車の目印から始まった 日本】
牛車が宮中の招宴その他で車寄せに一杯になった時、
自分の牛車が見分けやすくする目的で「紋様」が付けられたとする "新井白石"の説が有力。
【日本の武家紋】
紋章の継承を考えると戦国武将の紋章はヨーロッパのものほど
組織的な方法ではないが親子.一族で区別していました。
本来敵味方の区別のための手段のほかに、武功を誇るための手段して
もちいられました。手柄をたて立身出世のためにも
紋章が必要とされました。
『ヨーロッパ』
中世キリスト教支配のヨーロッパ貴族社会に始まり、
楯にそれぞれ個人を識別しえるシンボルをあしらった世襲制度...(諸説を総合したもの)
『日本』
西洋紋章学の定義でいう継承性を持ち個人単位で区別したものは
武家紋のみで、紋章の公的機関を持たなかった
日本では定義すら曖昧状態です。
したがって、一般的にはエンブレム"Emblem"に近い。