ヨーロッパの紋章
もう一つの紋章の起源
それは十字軍が用いた十字架の印です。
イスラム側との区別ため兜や剣に印をいれていましたが
剣や兜が熱くなるのを防止する為「
武器をおおう陣羽織
Coat of Armsが必要となりました。
紋章は11世紀初頭にドイツ地方で始まりました。

紋章の初期は楯 "shield" にシンボルを描いたもので、楯そのものが紋章とされました。
紋章用語ブレーゾン( blazon )はドイツ語blasen"ホルンを吹く"を意味するが
フランスに入りフランス語blason" 紋章学あるいは紋章 "になり、
イングランドに入って
blazon" 紋章解説 "となったものです。
やがて鎧の上の陣羽織( Surcoat )や馬の外被( Caparison )などに
紋章をほどこすようになっていきました。
英語のCoat of arms or Tabard or Arms
仏語のArmes
独語のWappen
はいずれも楯だけの紋章図形を意味するのが正しい用語です。
【blazon】
中世の騎乗槍試合に由来する。試合に先立ち審判官がホルンの合図で各騎士の氏名.階級.楯の紋章を客に紹介する慣例があり、「ホルンを吹き鳴らす」ことは即ち「紋章の説明」と解釈されました。
紋章は個人を識別するを前提にしているため親子といえども同一紋の使用を禁止している。
子供は親の紋章に識別マーク (Cadency mark)を付けて使用し、
親が死亡すると長男が承継する。
『同一紋章の出現を防ぐ方法』紋章鑑 (Roll of Arms)を備え登録制度にしました。
グローヴァー紋章鑑 1255年頃 (イングランド)
ディアリング紋章鑑 1270年頃 (イングランド)
調査や登録は王に直属するHerald "軍師兼紋章官"が派遣されていました。
『紋章院の創設』リチャード3世 (1483-85) の頃College of Armsが創設され
紋章のすべてを管理するようになりました。
【イングランド紋章院】
総裁職は
15世紀以降名門ノーフォーク公爵家の世襲職位であり、宮廷席次は
英国首相よりはるかに上位にあって、紋章制度の重みを今に伝えている。